夏休みの宿題(結果発表) (13.8.30)
夏休みも終わりに近づきました。
先月のブログで、夏休みの宿題として山積していることをさっさと片付けることを目標として書きましたが、結果→目標は8割くらいは達成できた・・・感じでしょうか。
カツオくんにならないように、できるだけ早めに取り掛かり面倒なことから先に片付けたこともあり、宿題をためることなく夏休みを終えることができました。
書道の試験があるのでその作品を作ったり、会社の会議で発表するために読書をしたり、学生さんと同じような宿題もたくさん有りましたが、無事完了できました。 今年の夏は猛暑でへばりながらも、いろいろなことが経験でき、宿題もきちんと終わらせることができ、いい夏だったと思います。(福原)
富士登山 (13.8.29)
高校2年の息子が、同じクラスの友人達と富士登山へ行き、今日帰って来ました。27日は8合目まで登り、山小屋で仮眠をとった後、翌朝2時半に山頂へ向けて出発しました。真っ暗な中、友達と励ましあい、寒さにも絶えながら登頂した時は、本当に感動したそうです。
富士登山すると決まった時から、ずっと天候が心配でしたが、28日の富士山頂はとても穏やかな天気に恵まれ、きれいに御来光を見る事もできたようで、スマホから写真を送ってくれました。
夏休みと言っても、課外授業や部活でほぼ毎日、家には居なかった息子でしたが、新学期が始まる前に貴重な体験が出来た事は、一生の思い出になったと感じました。
(石川美輪子)
夏の部終了間近 (13.8.28)
瀬戸内国際芸術祭の夏の部が9/1で終了になる。年間パスポートを開催日に購入したにもかかわらず、夏の部は、一度も見に行けなかった。
そもそも、春の開催初日に思い立ったように出かけたので、何もわからず年間パスポートを購入してしまい、後から聞くと地元の人はあまり購入しないようで、ちょっと後悔した。
また、その日は天候が悪く肌寒い日で、女木島に渡ったがゆっくり鑑賞できなかった。その上、帰りの船に積み残され、散々だったことを思い出す。
せっかくパスポートを持っているので、季節のいい秋には、是非とも出掛けたい。(長門恵子)
図書館通い (13.8.27)
ここ最近、子供の夏休みの読書と自身の試験勉強の為に、図書館に赴くことが多くなりました。
そんなに遠くない所にありながら、ほとんど足を運ぶことが無かった場所。行ってみると色々な発見があります。
その中でも感心したのが、「社会人用机」の存在です。なるほど、これが無ければ、夏休み中は全ての机が学生に占拠されてしまいます。(学生にとっては納得できないかも)
とは言え、その社会人用すらも満席のこともあるのですが......ささやかな特権に感謝です。
(堀川 伴和)
試験 (13.8.26)
昨日、第45回社会保険労務士試験が開催されました。
年に1回の試験であり、私自身も人生の全てをかけて勉強したことを思い出しました。
改めて、初心に戻って、自分自身があの頃描いた思いや考えをきちんと整理してみようと思いました。(岩田)
日本一暑い町 (13.8.23)
今月12日に高知県四万十市西土佐江川崎の観測地点で、日本での観測史上最高気温である41度を記録しました。この日は、高松で仕事をしましたが、その前日に、義母がその観測地点のすぐ傍の診療所に入院しましたので、付き添いのため診療所に行った際に40度超の気温を体感しました。江川崎はもともと最高気温は高い地点ですが、連日38度を超えるのは初めてではないでしょうか?いつもは昼間は暑くても、朝夕は涼しい風が吹き過ごしやすい所です。
13日に再び江川崎の診療所へ行く途中見かけたのが写真の「日本一暑い江川崎」の看板です。診療所の帰り道に観測地点の測器も写真に収めました。13日から16日まで四万十市にいましたが、その間に東京から来たアナウンサーを見かけるなど、取材カメラと何度も遭遇しました。おまけに、近所のよく遊びに来るおばあちゃんがNHKの7時のニュースに登場、我が家の田んぼを作ってもらっているおじさんが登場するなど、何ともにぎやかなお盆となりました。
明日は義母が退院するため、また江川崎に行きますが、もう騒ぎは治まっていることでしょう。(濱田 幸子)
「島めぐり」 (13.8.22)
ここ瀬戸内では、3年ぶりに瀬戸内国際芸術祭が開催されている。今回は、春・夏・秋の3シーズンに分かれての開催である。春は、ほぼ行けなかったので、夏こそはと思っていたらこの酷暑である。さわやかな風に吹かれて島めぐりとはいかず、気温約36℃、熱風が吹く猛暑の中を頑張って行ってみた。
今年、初開催の伊吹島は、観音寺の沖に浮かぶ小さな島で、讃岐うどんのダシにもかかせない、いりこ漁が盛んである。小さな島なので、半日もあれば十分と思って気軽に出かけたのだが、港についていざ島内へ歩きはじめると案内MAPに書かれた「心臓破りの坂」という文字が目に飛び込んできた。この坂はいったい何度の傾斜だろうというほどの、狭くて急な坂道がお出迎えしてくれた。
芸術祭の芸術作品は、それぞれに工夫がされているのだが、やはり一番は、島から見る瀬戸内の景色である。いつでも見に行けるのだが、なかなかきっかけがないと行かないので、芸術祭にかこつけての島めぐりは、決して県外からの観光客を呼び込むだけでなく、瀬戸内の人々にとっても、瀬戸内の島々の良さ・美しさを再発見するよい機会となっていると思う。
昼過ぎに伊吹島から観音寺港に戻った後は、たんまり汗もかいたのですぐ近くの琴弾回廊というところで温泉に入り、かき氷を食べ、夏休みの絵日記に書けるような1日が終わったのであった。
(酒井洋美)
時代を生きる「覚悟」を考える (13.8.21)
近年、明治維新の人間群像に目が向きます。
先日「覚悟の磨き方」という本を読みました。サブタイトルに「超訳 吉田松陰」となっています。松蔭の語録のような本ですが、その中に「なにを選ぶか、どう選ぶか」について「自分にとっての利益。これをなるべく増やそう、残そうとすればするほど、判断基準がぶれ、迷いが生まれます。反対に、自分の利益を一番後回しにできるなら、やろうがやるまいが、どれを選ぼうとも、物事は気持ち良くすすんでいくものなのです。自分のことを考えると、かえって自分のためになりません。」と解説されています。
思い当たります。
個人と個人のエゴのぶつかり合いが人間集団の特徴ですが、そこで真っ先に自己の利益だけを主張しては、本当に求められる経営上の「覚悟」を固めることにはなりません。目が開かされました。
もう一人は、高杉晋作。
有名な辞世の句に「おもしろきこともなき世をおもしろく」があります。
想像ですが、幕末から明示の時代。庶民の生活はテレビドラマほどの面白さは無かったと思います。
下級武士も同じようなものであったでしょう。
「おもしろきこともなき世をおもしろく」という、真っ向から時代に向かう生き方。「覚悟」のあり方には、学ぶことが多いものです。(林 哲也)
夏の終わり (13.8.20)
先日の休みに 涼を求めて愛媛の高原まで出かけてきました。
高原と言っても車の外気温は30度近くをさし
涼しさを感じるよりも 暑く汗を掻きつつの時間となりました。
が やはり高原 季節先取りの花や時折吹く風の涼しさを楽しんできました。
それにしても 今年は記録を更新する程の暑い夏となりました。
お盆を過ぎたあたりから感じる朝夕の風の冷たくなる瞬間だったり
高くなる空や 夕暮れに赤く染まる空が 昔から何故か好きな私でした。
この暑さも もう少し と信じ乗り切りたいと思う今日この頃です。
(香川)
「はだしのゲン」の閉架措置に思う (13.8.19)
漫画『はだしのゲン』をご存じだろうか。私も幼い頃に読んだ記憶がある。この漫画は、漫画家の故中沢啓治さんが自らの被爆体験をもとに描いた作品で、多くの人が一度は目にしたことがあるのではないだろうか。
その『はだしのゲン』が、「描写が過激だ」との理由で松江市教育委員会が市内の小中学校で教師の許可なく閲覧できない閉架措置を求め、全校が応じていたことがわかった。「描写が過激」なものならネット上であふれているのに、なぜいま『ゲン』だけがこのような扱いをされるのか。
このところの選挙で自民党が再び盛り返し、悲願だった憲法改正に向けて着々と準備を進めているようだが、そういう動きと一体化しているような気がしてならない。国家権力が国民を統制し、戦争や核兵器の恐ろしさから目をそらさせ、日本に国防軍を置く、表現の自由を制限し、反戦意識をうすめるというストーリーだ。
たしかに私は幼い頃に見た『はだしのゲン』のあの恐ろしい絵と内容の衝撃が今でもトラウマになっていて、二度と見たくない漫画ではある。しかし同時に戦争と核兵器の恐ろしさもしみついたのも事実だ。世の中は楽しいことばかりではない。むしろ悲しいこと、悲惨なことがあふれている。子どもたちはそれを漫画を通して疑似体験することによって、弱者や他人の痛みを想像することができるようになるのではないだろうか。
あの漫画を読むか読まないか、それは個人が決めることであって、学校や教育委員会が『はだしのゲン』に限ってのみその機会を奪ったり、制限することはやはり問題であると思う。
(鈴木)