水出し茶 (14.4.30)
4月も終わりになり、日中は少し暑いなと感じることも多く、冷たい飲み物がおいしくなりました。
ここ数年あたたかくなると水出し茶を作っています。お店にいくと水出し用の茶葉も売っていますが、いろいろ試してみて実際はどんなお茶でも水出し可能と知りました。
ティーバッグをお水に入れて3時間ほどおいておくだけでおいしいお茶ができます。熱を加えないのでタンニンやカフェインがあまり抽出されず渋みが出にくいのだそうです。
多少高級な茶葉をえらんでも、コンビニのペットボトル以下の金額で格別においしいお茶が失敗なく淹れれるので、今日はほうじ茶にしようかな、ちょっと贅沢に玉露もいいな、とか、フレーバーティにしてみようかな、とその日の気分で楽しんでいます。
(和泉)
春 (14.4.28)
春は出会いと別れの季節である。学生の頃は卒業や入学があり、社会に出ると退職や入社が多い時季となる。当事務所にも、この春新しい仲間が加わった。新たな出会いである。それと同時に事務所を去る者もいる。人との出会いは、わくわくして嬉しい(^^♪しかし、別れはどんな場面であっても寂しいものである。
これから先も様々な人との出会いや別れがあると思うが、その一つ一つを自分なりに受け止め、大切にしていきたいと思う。
(日詰)
春はあけぼの (14.4.25)
桜の時季も過ぎ、朝夕は少々肌寒さを感じるものの、日中はだいぶ過ごしやすくなってきた。
春はあけぼの やうやうしろく成り行く山ぎは すこしあかりて むらさきだちたる雲のほそくたなびきたる
と『枕草子』に綴られる趣を味わうにもよい季節なのかもしれないが、元来、夜型の私にはそれは少々難しい。どちらかというとこの季節、春眠暁を覚えずといったところだ。
しかし、早起きは三文の徳とも言われるし、眠気に抗して少し早起きし、自分のためになる時間をつくる努力も必要かもしれない。春のあけぼのの趣に浸れる余裕が心にほしいものである。
(松本秀紀)
少し遅いお花見 (14.4.24)
映画館 (14.4.23)
東京旅行 (14.4.22)
先月末、久々に東京に行ってきました。
初めてLCCのジェットスターに乗りました。ジェットスターに乗ってみることが今回の旅行の楽しみの一つでもありました。サービスは普通の航空会社よりは劣りますが、機内もきれいで、たった一時間程度ですので、往復一万円なら絶対お得だと思いました。
さて、旅行は中学3年生の姪と行ってきました。今年は高校受験なので、その前に念願の東京に連れて行ってあげようと思い計画したものです。
渋谷、スカイツリー、ディズニーランド、アメ横とハードスケジュールの旅行でした。前回小学4年生の時に東京に行った時は、ディズニーランドのことばかり考えていた姪でしたが、今回のメインは渋谷109でのショッピングでした。そんな年頃になったんだなぁと不思議な気持ちになりました。
ショッピングをあまりしない私としては、ハードスケジュールでしたが、一番疲れたのは109でした・・・。
(齋藤 美穂)
左手 (14.4.21)
朝の忙しい時間に、「今日は左手で、歯磨きをしてください」と、子供から言われることがあります。とても面倒ですが、聞かないともっと面倒になるので、左手で歯磨きをします。
利き手じゃない左手で歯磨きをしようとすると、難しいのでゆっくりになり、時間をかけて丁寧に磨くようになります(時間は無いのですが・・・)。たまには、利き手じゃない方を使って、いろんなことをするのもいいかもしれません。
(長谷由紀)
真実 (14.4.18)
時の内閣の解釈改憲 (14.4.17)
合同経営は「使命」の第一で、日本国憲法の原理原則を大切にすることを掲げています。憲法第99条は、国務大臣、国会議員等に憲法を尊重し擁護する義務を負わせています。この憲法が1947年5月3日に施行されて67年になります。私と同じ年です。この年になって、「9条の解釈を私(内閣総理大臣)が変える」と言われと、「オイ!勝手なことをするな」となるのが普通では?私も近所の人も、外国も67年間「日本は戦争はしない。殺したり、殺されたりしない」と、ずうっと暮らしてきたのだから。
集団的自衛権の憲法解釈を安倍くんが急に、「私が変える」が、世間や国際社会で通用するのか。立憲主義の憲法に適法なのか。当の自民党の元有力幹部の、加藤紘一氏,古賀 誠氏等が日本共産党の機関紙赤旗紙上で苦言を呈している。
(乃口 健一)
実家空家(?) (14.4.16)
何日か前のこのコラムの記事の中に「空家対策」という記事があったと思いますが、その記事を読んで私自身もすこし思うところがありました。私の実家も今は空家という状態だからです。
現実にその家で生活をしている者はいません。私も兄も実家を離れ、県外にいます。ただ、隣家の伯母夫婦が窓を開けてくれたり、神棚の手入れをしてくれているので、かろうじて私が帰省しても宿泊できる状態ではあります。ただ、築50年以上が経ち、傷みも激しく、人の生活の場でなくなった家が荒んでいくのは目に見えてわかります。
解体すると費用がかかり、かつ固定資産税も高くなりと、そして何より生家がなくなることにやはり抵抗があります。親世代がなくなり、子世帯が遠くに離れた場所にいる、どんどん空家が増えていくんだろうなとつくづく感じました。
いつか私も兄とともに、実家の今後について考えなくてはいけなくなるでしょう。
(藤本 恭子)