やっと行けましたが。 (12.2.29)
1年くらい前に友人と3人で、あるお店に食事に行こうと話していて、予約を取り楽しみにしていて、その当日、私の親戚の訃報で兵庫まで行かないと行けなくなり、泣く泣くキャンセル。その半年後くらい、リベンジだ~と言ってまた予約を入れ楽しみにしていたら、今度は友人が行けなくなってしまいまたまたキャンセル。で、絶対にそのお店リベンジ!と、この前予約入れて"今度は行けるでしょ~"と話していて、その前日、別の友人にお迎えの連絡を入れたところ、なんと日にちを勘違いしていて、すでに予定を入れてしまったと...その友人は悲しそうに"2人で行ってきて..."と。そんなに相性が悪いのでしょうか...その友人には申し訳なく思いながら、念願のお店にやっと行ってきました。ちょっと隠れ家チックで美味しいフレンチに大満足。また"3人"で行こうと思います。いつ行けるかはお楽しみ。
(岡野 里恵)
何かを始めるのに、遅すぎることはない (12.2.28)
新聞に「70歳の高校生 さっちゃん」という記事が載っていました。家庭の都合で高校進学をあきらめていたことが唯一の心残りだった「さっちゃん」は、夫との死別後思い立って67歳で高校に入学し、この3月に見事卒業するそうです。
座右の銘は『何かを始めるのに、遅すぎることはない』だそうです。
この記事を読んで、自分の祖母を思い出しました。私の祖母も尋常小学校を卒業してからはずっと家事や仕事を手伝い、勉強をすることができなかったことをずっと悔やんでいました。自分は「無学だ」というのがずっと心残りだったらしく、80歳で老人大学に通い始め、休むことなく卒業し、卒業証書を誇らしげに見せてくれたのを覚えています。
そんな祖母にいつも「勉強できること、学べる機会があることは有り難いことなのだから、感謝しないといけない」と言われていましたが、学生の頃はそんな有り難さも感じることもなく、祖母の言葉も素直には聞いていながらも感謝することもなく、ただぼんやり過ごしていました。
今回の新聞記事を読んだことで、祖母と話した記憶が蘇ると同時に、学べる機会があることの貴重さを改めて感じさせられました。
歳を重ねるごとに、何かを始めることに億劫になったり、感動や感激、感謝の気持ちなど薄らぎがちですが、いくつになっても何かに興味をもって、前向きな姿勢で取り組めるような人間でいたいと思います。
春の足音が聞こえてきそうな今日この頃、今年は春風とともに何かを始めてみようと思っています。(福原 智子)
"初心" (12.2.27)
18歳の娘がとうとう自動車の運転免許を取得しました。ずっと自分の子供が車を運転する時が来るなんて、信じられないなっと思っていたら、案外あっという間でした。
仮免や卒検、本試験の少し前になるとリビングで教本と向き合っていたので、私も少し覗いてみました。当たり前に分かると思っていたら、ひっかけ問題や、回りくどい文章があり「ん?」と首を傾げる問題に、私自身も改めて交通ルールについて考えるいい機会になりました。
そんな娘は、私が使用していた車を乗ることになったので、仕方なく私は別の車を購入しました。色々と悩んだ末に決めた新しい車です。ずっと大事に乗っていこうと思っていたら、先日出勤途中の信号待ちで、まさかの後ろから追突事故に遭ってしまいました。
相手は平成生まれの女の子で、自分の娘と同じくらいの年齢ということもあり、警察が到着するまでの時間は「これからは気を付けてね」という優しい言葉しかかけられませんでした。
今回の事故で娘には、わき見運転は事故につながる事や、スピードの出し過ぎはブレーキが間に合わない原因になる事を教えてあげられたと思っています。私自身もそうですが、免許を取得したばかりの気持ちを大切にし、グリーン免許の初心を忘れずに安全運転を心掛けて欲しいと願っています。
(石川美輪子)
かくれ家 (12.2.24)
以前から毎年時期が来ると案内のはがきをいただいていたお店があります。かれこれ10年ぐらいになりますが、いまだに一度も足を運んでいませんでした。やっと今年主人と二人で食事に行くことができました。
何のお店かというと今が旬の牡蠣焼きのお店「かくれ家」です。たくさんのお店がある中で、ここでは7つのコースメニューがあり、コースの中に鉄板で牡蠣を焼くという料理があります。席の横に置かれたかごにはたくさんの殻つき牡蠣が置いてありました。"牡蠣が大好き"とまでいかない私は、コース料理でいろんな牡蠣料理が堪能でき、それだけで満足できました。牡蠣焼きは、焼き方、食べ方がわからず、お店のお兄さんにしてもらったところ、一気に10個並べてくれてノルマをこなすのが大変でした。その様子を見ていた大将から「せっかく来たのに、食べたうちに入らんで」と言われつつ、他の料理で十分お腹一杯になりました。今度は、子供たちが帰った時に家族そろって行きたいと思います。(長門 恵子)
自動車保険 (12.2.23)
私が加入している自動車保険は、車に乗り始めてから、かれこれ13年お世話になってきた保険会社のものでしたが、やはり保険料がネックとなってきたので、思い切って「ネット型通販タイプ」の保険に変えることにしました。
しかし、「ネット型」は保険料が安い分、保障や対応がとても心配です。今までは保険会社が言う通りに、たぶん良く設計された保障内容に加入していましたが、今度は自分で選ばなくてはいけません。
そこで一つ一つの保障内容を良く調べて、自分に合ったプランを選択して、2万円ほど安く保険契約を結ぶことができました。
削った保障内容は、無理に無くしたものではなく、妻の自動車保険との兼ね合いも考えて、2人同時に付けていても効果の無い特約や、絶対に利用しないものを削除したので、心配はありません。
あとは事故対応の良し悪しが心配ですが、こればっかりは体験しないほうが良いので、日々安全運転に心がけて、お世話にならないようにしたいと思います。
(堀川 伴和)
特別の日 (12.2.22)
今日は、2並びの日です。1年という長い時間の中で、1と2しか3つ並ぶことがない特別な日。
時計を見たら時間の数字が並んでいるのを見ることができたり、数字が並んでる日って、なんだか特別な日のように思えます。朝のテレビの中で、星座占いで1位になったりしてもいいことがありそうな気がしてしまいます。でも、結果はあまり良くないときもあったりして。。。
なかなかそううまくいかないというか、難しいものですね。(岩田 健生)
帰ってきた雀 (12.2.21)
去年のいつ頃からだったか定かではありませんが、雀の姿を見ることが無くなりました。そのことが、ずっと気になっていたのですが、2週間ほど前に久しぶりに1羽の雀を見ました。府中湖サービスエリアに立ち寄った時に見たのですが、普通は1羽でなく複数を同時に見るのが当たり前のように思っていたので、周りを確認しましたがその日は1羽以外には見つけることができませんでした。
我が家でも、以前は日曜日の朝などは、屋根の上で動く雀の物音や鳴き声で目を覚ましていたのに、最近は雀の鳴き声を聞くこともなくなっていました。ところが、今日久しぶりに我が家の屋根の上に3羽の雀がいるのを発見しました。雀のことなど気にもかけていなかった私ですが、いざいなくなると「一体どうしたのかしら?」と、妙に心配になったものです。今日は、雀の姿を見て安心するとともに少し感動してしましました。いてくれて当たり前だと思っているものがいることの小さな幸せを感じた瞬間でした。(濱田 幸子)
「四字熟語」 (12.2.20)
最近は不況の影響もあってか、年末にもらうカレンダーの数も少なくなった気がする。いつもカレンダーがある場所にないのはすこし寂しいので、今年は100円ショップで買い足した。
年末年始は、年も改まるし心機一転頑張ろうという気にもなるので、なぜか週ごよみの「四字熟語カレンダー」というものを買ってしまい、掛けて使っている。
ちなみに今週の四字熟語は「苦心惨憺」(くしんさんたん)、意味は、「苦労して困りながらもいろいろ工夫を凝らしてやってみること。」 読めても、意味を的確に答えられないことも多いし、全く知らない熟語も多いので、なかなか勉強になる。
その昔、古今東西ゲームで、それも主人と2人で「数字の入った四字熟語」というお題で遊んでいたことを思い出した。これが結構あるのだ。たとえば「七転八倒」「一石二鳥」「五臓六腑」・・・などなど。
私は、何もなくただ四字熟語をといわれた時になぜか「焼肉定食」という言葉がいつも脳裏をかすめてしまう。お腹がすいているわけではないのだけれど・・・。
あなたは四字熟語といえばどんな漢字を思い出しますか?
(酒井洋美)
「家で死ぬ」こと (12.2.17)
難しく言うと、そういうことだが、話を聞いていると「これからの超高齢化社会において病院や施設をこれ以上増やさずに、在宅(家)をベット化していきたい」という費用対効果の観点での政策変更の趣旨に受け取れます。昨今では、在宅で看取られることはごく希なケースで、圧倒的に病院で亡くなっており、医療費高騰の原因のひとつとか。
在宅介護を「銭金勘定」という視点で見続けていた昨今ですが、たまたま通りがかった書店で手に取ったのが「看取りの医者」(著者:平野国美氏 小学館文庫)でした。
衝撃でした。多くの病院の医師は「一分でも一秒でも生かす」ことが勝負と考えているので末期においては、電気ショックで心臓を動かし、気管挿管で呼吸をさせ、胃ろうやチューブで栄養を送り込みます。
しかし、生きているはずなのに、大切な家族との会話は遮断され、死につつある人との交流は全く追いやられる。
こういう看取りはしたくない。
10年前に、私の母も、労災病院でがん手術をしたのですが「手術は成功」と説明を聞いた数日後に、いきなり院内感染に。苦しむ母の気管から空気を送り込む、気管挿管が勧められ、それっきり話は出来なくなり・・・・・・とお定まりの手順。
「一分でも一秒でも生きて」と思う一方で、話しあうことなく1ヵ月近くが経過し亡くなりました。その頃の思いがよみがえりました。
そう言えば、7年ほど前に、知人のNさんのお母さんのケアプランを、併設する「県ケアマネでお願いしたい」と依頼されたことも思いだしました。Nさんのお母さんは血液の難病で余命についても数年と診断されていました。二人の娘は既に嫁いで在宅で一人暮らしでした。医療と介護、夜間の娘の輪番での宿泊介護で3年間を在宅中心で過ごしました。
お母さんが亡くなった後、Nさんと話をしたときに「最後の1年は母親と徹底して話し合えたので、何の悔いも残らず看取れた」と清々しい笑顔でした。
「医療介護の機能強化と連携」という政策が出された今こそ、看取りの有り様について、国民的に考えるべき時期となったと思いました。
早速、家族には「私への無意味な延命治療は絶対拒否する」と宣言しておきました。
本書が、医療や介護に関わる人だけではなく、広く心ある人達に読まれることを願います。(林哲也)
微笑みの国 (12.2.16)
先週末、友人とタイへ行ってきました。海外旅行は3年ぶりです。
タイは現在30度を超える真夏で、空港から出てすぐタンクトップになった瞬間はなんだか得した気分でした。1日目はアユタヤ遺跡、ぞう乗り体験、ニューハーフショーを見ました。2日目は寺院巡りにマッサージです。初のタイでどんな感じなんだろうと思っていたのですが、街も綺麗でお寺も金ピカ、タイ人は優しくその上物価も安く言うことなしの素晴らしい国です。滞在時間はすごく短かったのですが、卒業旅行中の大学生や香港から旅行に来ていた人たちと出会いました。スマートフォンが普及してからFacebookにLINEと以前よりもさらに人との交流が容易になりました。この時代に生まれた事に感謝しながら、新しく出会った人たちとのつながりも大切にしていきたいと思います。
(北川)