今日は年度末です (11.3.31)
今日は年度末です。個人的には特に変わったこともなく、たぶん明日からの新年度も何も変わりなくスタートするでしょう。子供(保育園児)は新しいクラスになり、過ごす部屋と担当の先生の変更はあるかもしれませんが、お友達は引き続き一緒なので彼もまた変わりなく4月を迎えます。
3月の終わりの頃は例年実家のある高知に帰り、旧友とお花見に行ったりしていましたが、今年は気温が低い日が続き、満開には程遠く、大震災が起こったこともありとてもお花見気分にはなれませんでした。ただ、旧友には再会し子供の話の次に話題に上ったのは健康の話。糖尿病やらメタボの話など、若い頃ならまず間違いなく話題にすら上らなかったでしょう。それだけみんながいい大人になったのでしょうか。別れ際には「また元気で会おうね!」と声をかける年齢になりました。
年度の終わりに旧友と過ごす時間は、新しい年度に向けての私のエネルギーチャージの時間です。だから、桜の花を見れなくても、お互いに元気な姿で会えることを幸せに思います。
(藤本 恭子)
ちょっとの幸せ (11.3.30)
意外と料理を作るのが好きな私ですが、ダシは鰹節からなんてこだわりはなく、市販のものでも美味しければよいかなと思っています。例えばカレーを作るのにお気に入りのルーがあって、そこからいろいろ調味料etc...で自分の味にしていくのですが、お気に入りのルーが1年前くらいから無くなっていて、なかなか納得がいくカレーができなかったのですが、この間めったに行かないスーパーに行ったら、なんとそのルーの新バージョンを売っていたのです。思わず"お帰り~"と言いながらご機嫌で2個買って帰りました。その日の晩御飯は久々に納得いくカレーを食べたのは言うまでもありません...。
(岡野 里恵)
おばあちゃんの里芋 (11.3.29)
先日、祖母の畑でとれた里芋をもらいました。祖母はたくさんの野菜を畑で作っていますが、今年は猪が下りてきて、ほとんどの野菜を食べられてしまったようです。
祖母は無農薬で野菜を育てているので大切に育てていた野菜を食べられてとても悔しそうでした。そんななかでも生き残った里芋を煮っころがしにして大事に食べました。ほっこりしておいしかったです。
放射能汚染で関東のほうれん草などの出荷停止が続くなか、農家の人が手塩に育てた野菜を廃棄しなければならない事態にどれだけ悔しいだろうと心が痛みます。
(近藤 麻美)
小さな力でも・・・ (11.3.28)
震災から2週間が経ちました。テレビや新聞から流れる惨状は目を覆いたくなるものばかりで、被災地の方があまりにも気の毒で、しばらくはテレビを見ることもできない日々を過ごしていました。
自分だけではなく日本中、世界中の多くの人々が心を痛め、自分には何ができるのだろう・・・と自問自答したことと思います。
被災地に行けることもなく、芸能人やアスリートたちのようにたくさんの寄付や励ましの言葉を送れるわけでもなく、自分の無力さを感じますが、それでも今、自分にできるほんの些細なことが、どこかで何かの、誰かの助けに繋がっていると信じて毎日を過ごしています。
人は一人では生きていけない、誰かの支えがあって生きていけるんだということを改めて感じています。また、一人では小さな力でも、一人一人の小さな力が合わされば、とても大きくて強い力になるんだということも感じています。
私にできることはほんの些細なことで、本当に小さな力だと思いますが、どこかで誰かに繋がって、大きな力の一部になれていたらいいな、と思い日々過ごしています。
今日という日があることに感謝し、毎日を無駄にすることなく一生懸命に生きていき、自分にできることを考え行動し、目には見えなくても、誰かのため、誰かの支えになれていたら・・・と思っています。(福原 智子)
自分にできる事から (11.3.25)
東日本大震災から今日で2週間経った。発生当初から情報だけは受け止めていた。
ずっと自分には何が出来るだろうかと自問自答してきた。阪神淡路大震災の時は、長女が産まれたばかりだったし、自分自身もまだ24歳と若かった。当時は自分の生活を維持するのに精一杯だったが、今は少し違う。
色んな想いを込めて、自分に出来る範囲での義援金を被災地に送りたいと思い、行動を起こした。
今後何年必要なのかは今は解らないが、被災者が普通の生活を送る事が出来るまで、被災しなかった日本人として、普通の生活(自分の役割・業務)を粛々とこなす事が一番ではないか。
決して買い占めなどは行わないように...。
(石川美輪子)
ふれあい寄席 (11.3.24)
先月の香川県行政書士会が開催した60周年記念事業の際、落語家の桂こけ枝師匠を招いて落語を口演していただきました。会場は笑い声で盛り上がっていたのですが、その時私は、司会を担当していたのでゆっくり楽しませていただくことができず、残念に思っていました。そこへ、4月に「ふれあい寄席」があるということを聞きました。
このふれあい寄席を聞きにいった方から、落語の登場人物になりきり、そばをすする様子も本物そっくりで、さすが名人芸というものや面白く楽しめる落語、さらに感動する落語もあり、思わず感動して泣いてしまったという話を聞きました。これまで、なかなか落語を聞きに行く機会はなかったので、これをきっかけに行ってこようと思います。(長門 恵子)
幻の一面記事 (11.3.23)
あの3月11日以来、世界が変わったようです。
被災された方々も、近隣の地域の人々も、そして香川県のようにその他の地域の人も皆、現在起こっていることに心を痛めながらも、力を1つにして、なんとか前へ進もうとしています。
今、報道は地震関連が主です。しかしそんな中、目に止まったニュースがあったので、ご紹介したいと思います。
昨年、7年もの宇宙の旅を終え、無事地球に帰還した、小惑星探査機「はやぶさ」が持ち帰った、サンプルの本格分析の結果が初めて報告され、その中の微粒子が、小惑星「イトカワ」の物と結論づけられたそうです。
帰還時に、地球に戻ってきた事だけでも驚かれ、ブームになった「はやぶさ」ですが、その成果もきちんと果たしていたいうこの「ビッグニュース」。このニュースは、3月11日の話題でした。
あの地震がなければ、新聞の一面を飾り、多くの日本人に何か「誇り」のような、嬉しい気持ちを提供してくれた事でしょう。
が、その快挙は何があっても色あせることはありません。ようやく、日本に元気や勇気を与えてくれるような報道も見受けられるようになってきましたが、これもその1つ。
日本は、日本人は、まだまだ...これからです!
(堀川 伴和)
宣誓 (11.3.22)
東北太平洋沖地震から1週間以上経過しました。自分にはほんのわずかなことしかできません。自分は何の力にもなれないと日々思うばかりです・・
選抜高校野球が開催され、選手宣誓の中で、「人は仲間に支えられることで、大きな困難を乗り越えられると信じております。私たちに今できること、それはこの大会を精一杯、元気を出して戦うことです。"がんばろう!日本"。生かされている命に感謝し、全身全霊、正々堂々とプレーすることを誓います」とありました。
「"がんばろう!日本"。生かされている命に感謝し・・」という言葉、堂々と力強くて、本当に深く感動しました。ほんのわずかであっても自分もできることを精一杯したいと改めて考えさせられました。(岩田 健生)
誇り高き日本人 (11.3.18)
11日の地震・津波の発生から1週間が過ぎました。被災地の皆様の心の内を考えると胸がつまります。外国のメディアで放送された内容等もニュースで取り上げられていますが、その中でいつも私が感じていることが報じられていたのが印象に残りました。 それは、「困難な状況下にあっても、日本人はルールを守り、自分勝手な行動をとらない。」という点で、他国民が感心しているというニュースです。外国で大地震や津波の発生時には、必ずスーパーに押し入って食料などを集団で盗難する場面がニュースで報じられます。ところが、日本では「阪神大震災」の時も「中越地震」の時もそれがありませんでした。先日、夫に電話した時にも「今回も日本人の素晴らしさを感じた。」と話したところでした。一番つらい時に、自分のことだけでなく周りの人間のことを考えることができる民族であることを誇りに思うと共に、どんな逆境にもへこたれずに復興に向かえる強い民族であると信じています。
日本国憲法第25条で「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」とうたわれています。いかに政治的に不安定な時代であろうと、この憲法がある限り、国を挙げて被災者の方々の生活を守る努力をしなければなりません。政治家の皆様が党派を超えて協力し合えることを信じています。
今、様々な場所で募金活動が行なわれています。高松市役所でも日本赤十字社の募金を行なっていましたので、私もわずかばかりの募金をしてきました。世界中から支援をいただいている中、日本人である私たち一人ひとりが気持ちをひとつにして、被災地の皆様を支援していけることを願っています。(濱田 幸子)
「桜」 (11.3.17)
3月初旬、確定申告の個人の顧客のところを訪問した時のこと。
「庭の桜が咲きそうだから、少し枝をとったのでどうぞ」と桜の枝をいただいた。少し桜の花が咲き始めた枝を事務所に持ち帰り、せっかくなので少し早い春のおすそ分けを入口のところに飾らせてもらった。2~3日経つと満開に近いくらい咲き揃い、事務所に来初いただいた顧問先とも入口のところで桜談議に花を咲かせることが何回もあった。
やはり「桜」というのは春を象徴するものであり、桜の花を見るとようやく寒い冬に終止符が打てるという気持ちになる。今年の冬は特に寒かったので、春が待ち遠しくて仕方なかった。桜の花が春の訪れを告げてくれることであと少しの寒さも我慢できそうである。
大震災の地にも、今年は少しでも、1日でも、早く春が早く訪れるよう、切に願うばかりである。
(酒井洋美)