臓器移植法に想う事。 (09.6.30)
先日、衆議院で臓器提供者の年齢制限を廃止し、脳死は人の死と一義的に位置付けされました。参議院でどのように審議されるかは、まだ確定していませんが、とても関心がある法案です。
我が家には、16歳(高校1年)と12歳(中学1年)の子供がいます。現行法では、16歳の長女には本人に意思があれば脳死の判定が出た場合、臓器提供が出来る事になっています。15歳以上ならば、本人の意思が尊重される事になっていますが、目の前にいる我が家の16歳の子供に、その判断が出来るとは到底考えられません。うちの子がまだまだ幼いのかもしれませんが、もしかしたら、ほとんどの家庭がそうではないでしょうか。
この法案が衆議院を可決した時、あるテレビ番組を見ていました。我が子の為に臓器提供を待つ親と、脳死状態の我が子の成長を見守る親。どちらの親の立場となっても、とても辛いと感じます。
現在の日本では15歳未満の臓器移植は認められていない為、臓器移植を待つ子供達は高額な費用を払ってでも、海外で移植の機会を待つ事になります。しかし、お金さえあれば移植が出来るという現状に、各国が黙っているハズがありません。
今から20数年前、まだ他人からの臓器提供など皆無に近かった頃、腎臓病を患っていた私の父は腎臓のドナーを待ちつつ、44歳で他界しました。当事、母からの腎臓移植(2つある腎臓のうち1つを移植)を考えていたようですが、幼い3人の子供の事を考え、両親が共に健康でないのは可愛そうだとの周囲の意見を聞き入れ、夫婦間での移植は諦めたと、随分後になって聞きました。
私自身は、もし万が一脳死状態に陥った場合は、迷いもなく使って貰える臓器は全部提供したいと考えています。だって、たとえ死んでも『生きたい』と思っている人の中で、身体の一部だけは生きていられるんですから。とても素晴らしい事だと思っています。それは、20数年前とは違って、本人の意思さえあれば、臓器提供が可能になったからです。
しかし、それがまだ大人になっていない我が子ならどうでしょう。勿論、『移植』という方法で助かる幼い命を、出来るだけ救ってあげたい気持ちはあります。しかし、我が子の命と引き換えに、他人の子供の命を救ってあげる、寛大な気持ちを親が持つ事は、かなりの時間が必要な気がします。
そんな考える(整理する)時間を、残された親に十分に与えて貰えるならば、改定されようとしているこの法案も、意味があるものになるのではないかと考えます。
(石川 美輪子)