知らぬが仏 (11.2.9)
我が家ではもうすぐ10歳になるオスのゴールデンレトリバーを飼っています。子犬のときにに知人からいただきました。名前はマックスと言います。週末の朝夕はわたしが散歩に連れて行きます。
散歩の途中、リードの長さ分前を歩く彼の背中をながめながら時どき思うことがあります。「こいつももうちょっと金持ちの家にもらわれとったら、もっと幸せやったやろうになぁ・・・」と。マックスは室外犬として飼っているのですが、今のような寒い時期や真夏の暑い時期なんかには本当にそう思います。彼が今の生活に満足しているか否か、彼と会話ができない以上、彼の本当の気持ちを知る術はわたしたち家族にはありません。
でも、考えてみると子犬のときから今の環境にある彼は、今の生活以外に犬として他にどんな生活があるのかを知りません。夏は涼しく、冬は暖かいリビングでソファに横たわり、ご主人さまといっしょにTVを見て過ごす生活があることも、ホームセンターに行けば、今、自分に与えられているドッグフードよりおそらくおいしいであろうそれが、山のように積まれて売られていることも。知らないから俺にもそんな生活をさせろとかもっといいやつを食わせろとか不服を唱えることはありません。(そもそもしゃべれないんですが・・・。)「知らぬが仏」と言うけれど、これからも知らない方が、今までどおり穏やかに生きていくために彼にとっていいのかなと思ったりもします。
ところでわたしといえばどうだろう。いい車にのっている人を見るとうらやましく思ったり、ケータイの新機種が発売されると知ると、今のものに特に不便を感じているわけでもないのに欲しくなったりと、そんなものに心乱されてばかりです。TV、新聞、インターネット・・・、我々はまさに情報の渦の中で生活しています。知らない方がよかったなかと思うことも知ってしまったりします。そんな現代を生きる我々が「知らぬが仏」で穏やかに生きていくのは難しいことなのかも知れません。巷の無益な情報に振り回されない人間になりたいものです。そう考えると、うちのマックスくんの方が、わたしなんかよりずっと仏様に近いところにいるような気がします。
(松本 秀紀)