今を生きること (10.12.6)
「輝いているなあ」
先日、宝塚の親類の家に立ち寄ったとき、叔母の顔を見ていて思った。
半世紀を超えて生きてくると、目の前に見えることも、とても面白い。
年齢の多少に関わらず、輝いている人は多いと思うが、叔母たちの昔話を聞くと、戦後の復興、高度成長、オイルショック、バブル、バブル崩壊の一連の歴史そのものだ。
田舎から大阪に出てきた親類を頼って、家族と親類がアパートの4畳半に5人で雑魚寝生活を続けた話は、感動すら覚えた。
飾らず、おごらず、嘆きもせずに生きてきた系譜を聴くと、今に生きる我々は「これで良いのだろうか」と自問する。
そうした歴史の延長に今があると実感した。(林哲也)
先日、宝塚の親類の家に立ち寄ったとき、叔母の顔を見ていて思った。
半世紀を超えて生きてくると、目の前に見えることも、とても面白い。
年齢の多少に関わらず、輝いている人は多いと思うが、叔母たちの昔話を聞くと、戦後の復興、高度成長、オイルショック、バブル、バブル崩壊の一連の歴史そのものだ。
田舎から大阪に出てきた親類を頼って、家族と親類がアパートの4畳半に5人で雑魚寝生活を続けた話は、感動すら覚えた。
飾らず、おごらず、嘆きもせずに生きてきた系譜を聴くと、今に生きる我々は「これで良いのだろうか」と自問する。
そうした歴史の延長に今があると実感した。(林哲也)