今ガザでおきていることから日本の平和を考える (14.7.14)
パレスチナとイスラエルの紛争について、私は歴史的な背景や政治のことは詳しくないが、ここ数日間で多くの民間人、特に少年が残酷にも殺されてい るという。イスラエル側がガザ地区に爆弾の雨を降らせているようだが、その下はそれまで普通に生活していた場所である。テレビや新聞ではその凄惨な写真は 報道されないが、ネット上ではあふれており、幼い子どもたちの亡骸の写真は目を覆いたくなる。しかし目をそむけてはいけない。これが戦争だ。きれいごとは 通用しない。
いま日本では憲法を変えることなく解釈を変えるだけで、例えばアメリカがふっかけた戦争に、まったく関係ない日本が参戦することができるようにするという集団的自衛権の是非が、国民に議論の余地を与えないまま進められている。
難しいことはここでは専門家に任せるが、他国の争い事には首を突っ込まない方がよい。国レベルで考えるのが難しいなら、個人対個人に置き換えて想像してみるとわかりやすい。恨みを買い、自分も狙われることになるだけではないか。得することなど何一つない。
日本が今までまがりなりにも中立で、世界から信頼さてれいたのは、戦後日本が一度も他国を侵略したり、他国の人を軍隊が殺したりすることがなかっ たからだ。この意味は大きいと思う。それが集団的自衛権の行使という名のもとに、他国の戦争に加担するとどうなるか。日本人が殺し殺される対象になるとい うことだ。
戦争は殺人である。殺人は犯罪であるということは疑う余地のないことだが、それが戦争でのことなら許されるということが私には恐ろしい。それほど人間の感覚が狂ってしまうということだろう。
今ガザでおきている殺人行為に目を向け、それが他国のことではあるが、日本に置き換えて想像してみることが大事だと思う。こんなことは絶対にしてはいけない。平和でなければ安心して仕事をすることも、学校に通うことも、何もできないのだから。
(鈴木)