震災から千日 (13.12.5)
12月4日で東日本大震災から1000日が過ぎた。あれから一日一日が千回も積み重なったのかという思いがする。
私もあの日は東京の職場で大地震に遭遇し、初めて机の下にもぐって長く続く激しい揺れに耐えた。それはもうゴジラがビルを持って倒そうとしているかと思うくらいに揺れた。預けている幼い子どものことをひたすら心配しながら耐えた。
揺れがおさまってから、窓から建設途中の東京スカイツリーを確認したらちゃんと立っていてホッとしたのを覚えている。職場は騒然としていた。書棚から分厚い本やファイルが落ち、散乱していた。すぐにテレビをつけた。被害状況が少しずつ明らかになるにつれ、いよいよただごとではないことを感じた。大きな余震が何度もおきた。仕事どころではないことにようやく気が付いた。家に帰ろう!子どもを迎えに行かなければ!!
しかし帰宅するにも電車は全てとまっていた。タクシーも空車なし。駅前の道路は車で、歩道は人や自転車であふれていた。妊娠8か月だった私は、地下鉄の再開をひたすら待って地下の駅構内で座り込んでいた。職場の人が車をとってきて迎えに来てくれ、大渋滞の中、余震が続く中、なんとか子供を迎えに行き、自宅に帰りつくことができた。
自宅の背の高い家具は全て突っ張り棒で固定していたので、倒れてはおらず、食器棚も観音開きではなく引き戸にしていたため、食器が散乱するということもなかった。メダカの水槽の水はまわりにこぼれていた。夜は余震に備え、みんなパジャマではなく服を着て寝た。
東京にいた私ですらこれほど恐ろしく、今もあの揺れはトラウマになっているのに、さらに揺れが激しく、津波に襲われた地域の方たちの体験や苦労ははかり知れない。そして今もなお福島・宮城・岩手の避難者が28万9千人にのぼり、10万人以上がプレハブ等の仮設住宅で暮らしているとのこと。震災から千日も経つのに、だ。私も原発事故の後、実家に避難し、その時初めて避難生活の不自由さと、いつまでともしれない避難生活のストレスを経験した。過度のストレスから顔面帯状疱疹を発症し、入院もした。経験しないとわからなかったが、避難生活というのは本当にしんどいものだった。
それとこれとは別問題という方もいるだろうが、私は東京でオリンピックなんてやってる場合だろうかと疑問に思う。今現在、衣食住に不自由をされている方の声に耳を傾け、寄り添い、直ちに手を差し伸べるのが国の最優先課題ではないだろうか。ヒト・モノ・カネは、復興に、困っている人のために集中して欲しいと切に希望する。
(鈴木)