一億総活躍社会とは? (15.10.1)
このところ、政治から発信される言葉に違和感を感じている。「一億層活躍社会」というのもその一つである。
先日、朝日新聞の天声人語欄にも違和感を感じたという記事が掲載されていた。
「違和感の出所の一つは活躍という言葉。だが、活躍できない人、活躍したいと思わない人もいる。「総」の中に入れない人、入りたくない人には息苦しく感じられる標語ではないか。掲げるには歴史の審判を受ける覚悟がいる。その覚悟に裏打ちされているのか。」
個々の生き方は様々であり、個々の人々を一くくりにして、号令をかけられているようところが違和感の原因か。
GDP600超円、希望出生率1.8、介護離職0というのにも違和感を感じる。政治が発する言葉には覚悟が必要で、覚悟が感じられない言葉には違和感を感じる。
このところ、その覚悟がない言葉が、まかり通っているのではないか。実現可能なことを目標に掲げ、そのための道筋をしっかり示し、異論があっても子供だましのような姑息な手段を使わずに、正々堂々と議論する。そのような政治であって欲しいしいとつくづく思う。
(重)
先日、朝日新聞の天声人語欄にも違和感を感じたという記事が掲載されていた。
「違和感の出所の一つは活躍という言葉。だが、活躍できない人、活躍したいと思わない人もいる。「総」の中に入れない人、入りたくない人には息苦しく感じられる標語ではないか。掲げるには歴史の審判を受ける覚悟がいる。その覚悟に裏打ちされているのか。」
個々の生き方は様々であり、個々の人々を一くくりにして、号令をかけられているようところが違和感の原因か。
GDP600超円、希望出生率1.8、介護離職0というのにも違和感を感じる。政治が発する言葉には覚悟が必要で、覚悟が感じられない言葉には違和感を感じる。
このところ、その覚悟がない言葉が、まかり通っているのではないか。実現可能なことを目標に掲げ、そのための道筋をしっかり示し、異論があっても子供だましのような姑息な手段を使わずに、正々堂々と議論する。そのような政治であって欲しいしいとつくづく思う。
(重)