被災者の方が笑顔で生活できるよう祈っております (11.3.15)
これから「壊滅」という事態を乗り越えて、「救済」から「復興」への長い道のりが始まりますが、地震国日本で生きる私たちにとっては他人事ではありません。
さらには、原発に関する史上最悪の事故も発生しました。一刻も早い解決が望まれます。
こうした未曾有宇の事態に対して、私たちは、義援金をすることや効果的な復興への応援行動など、発信される情報を見守りながら、出来ることを考えて、整然と行動することが求められています。
さらには、私たち自身が被災する可能性を想定した日常的な被災訓練や対策を講じることも大切なことでしょう。「災害は忘れたころにやってくる」と言われます。今回の救済・復興の道筋の中で私たち自身が防災体制の整備をしておくことが必要です。避難先の確認、緊急連絡網等も整備しておく必要があります。
まずは、何より被災者の方が笑顔で生活することのできるよう祈っております。(林哲也)
東北太平洋沖地震 (11.3.15)
先週末、大変な天災が起こりました。
まずは、被災された方に心よりお見舞い申し上げます。
あわせて、危険な場所で身を挺して救助活動に当られている、警察・消防・自衛隊をはじめとする方々に尊敬の念と、感謝を送りたいと思います。
私事ですが、実はあの大地震が起こった日は、30数回目の誕生日でした。
特にお祝いをするとかではないのですが、やはりなんとなく特別な日という気分で1日を過ごし
地震があったらしいということだけを聞いて自宅へ戻りました。
テレビをつけると、どのチャンネルも特番が組まれており、同じ映像が繰り返し流れてきました。
あまりの衝撃に、事実を理解するのにかなりの時間を要しました。
土日中、気がつくとずっとテレビを見ていました。
このような不幸な出来事の中で少し心の温まるニュースもありました。
諸外国がこぞって日本のために早急に手厚い人的・経済的援助を行ってくれたこと。
津波に巻き込まれ命からがら逃げるというのに、お互いに声を掛け合い、助け合っていたこと。
また、このような甚大な被害ですが、常に災害に備えている日本だからこそ、この程度でおさまっているという有識者のコメントがありました。
しかしながら、この穏やかな香川から出て暮らしたことのない私は、正直、ちっとも天災のことを考えて日々をすごしたことはありません。
きっとこれから毎年、誕生日がくると私はこの地震のことを思い出すことになるでしょう。他人事と思わず真剣に天災のこと、被害にあわれた方のことを考える日にしたいと思います。
このような有事において、私にできることは本当になんにもなく、あまりの非力さを痛感せざるを得ません。
なくなった多くの方、今も先の見えない苦しみの中に取り残された方のことを思うと、言葉もありません。
けれども、「助け合い」とか「思いやり」という私たちのひとりひとりの思いがたくさん集まれば、きっと大きな威力を発揮するであろうことを心から祈っています。
(和泉 有香)
卒業。 (11.3.11)
今日は、中3の娘の卒業式です。きのう学校から卒業アルバムをもらって帰ってました。昨晩わたしが帰宅すると「卒業アルバム見る?」とめずらしく自分から声をかけてきました。「うわっ、何や。気色悪。自分から話しかけて来よった。」と心の中で思いつつ、「ああ、ありがとう。ご飯食べてから見せてもらうわ。」とわたし。夕食後、どれどれと手にしたアルバムには鮮やかな写真の数々。「うわっ、何やこれ、めっちゃ綺麗やん。表紙からして俺らのときとは全然違うわ・・・。」と、「昭和」と「平成」の違いを思い知らされながらページをめくっていくと最後のページに娘に対する友達のメッセージがたくさん書かれていました。
「・・・いっぱい元気をもらったよ。」「・・・しあわせな気分になったよ。」「・・・ずっと友達でいてね。」そんな言葉がたくさんありました。「ほんまか?俺はいつもイライラさせられてばっかりやぞ。間違って他の子のアルバム持って帰ったんちゃうか。」と思いつつも、「天然で、のろまで、全然気が利かんであかん奴」といつも思っていた我が娘が、こんなにもみんなに愛されていたのかと思うと、たとえば自分が何かで人にほめられたときの何倍もうれしく思い、胸が熱くなりました。
「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すは上」とは、元楽天監督の野村さんの座右の銘だそうです。
どれを遺すのも難しいし、どれを遺すのを「上」とするかも人それぞれの価値観によるでしょうが、わたしはやっぱり尊い人間をこの世に残せたら最高だと思います。ダメな奴だとばかり思っていた我が娘ですが、どうやらここまではそういう人間に近づいて行ってくれてるような気がしました。素直に育ってくれてありがとうと感謝の気持ちを込めて、今晩、帰ったら「卒業おめでとう」と言ってやろうと思います。
( 松本 秀紀)
散髪 (11.3.10)
まだ寒い日が続きますが、新年度に向けて子供の散髪を決行しました。
今まで女の子の散髪しかしたことがなかったので、友達に男の子の散髪方法を相談したところ、バリカンを貸してくれました。初めて使うバリカンにドキドキでしたが、3センチの長さにそろえる付属品をセットして、頭にそってバリカンを動かすだけで、髪の毛全部が3センチに切りそろえられました!あ~ら簡単っ♪と調子に乗って、後ろ頭は18ミリの付属品を使って刈り上げっぽくしてみると・・・近所にある980円の散髪屋さんに負けないくらい(勝手に想像)上手く切れました!
ちなみに散髪時間は3分位!子供が暴れだす前に散髪完了です。 次回の散髪までにバリカンを購入しようと心に決めました。
(泉川 治子)
大阪土産? (11.3.9)
先日、突然大阪へ行く用事が出来、どうせならと大阪の友人に連絡を取って、久しぶりに逢ってきました。会う約束をしたのが急だったので、街ブラしてお互いの近況を語り合って過ごしました。それでも時間が経つのが早すぎる!と感じるほど楽しい一時を過ごしました。
友人は、私が話す讃岐弁が好きらしく、逢うたびに出来るだけ讃岐弁で話してあげよう♪と思うのですが、二人で話していると絶対に私が大阪弁になって行きます(笑)関西弁恐るべし!です。
因みに、今回の私の大阪土産は、この友人と偶然立ち寄った北海道物産展のキャラメル各種となりましたv大阪弁の抜けきらない私に地元友人が「本当は何処に行ってたん?」と聞いて来るのに答えるのが大変でした(苦笑)。
(黒嶋 美帆)
演奏会 (11.3.8)
先日、高松市役所吹奏楽団の定期演奏会に行ってきました。友人の知り合いがこの吹奏楽団に所属しているので、誘われて行ってみたわけです。
誘われるまでは、高松市に、この様な立派な吹奏楽団があることを知りませんでした。創立50周年と非常に歴史のある楽団であり、この定期演奏会も今回が39回目と高松市民に親しまれていることを知りました。会場であったサンポートホール高松の大ホールがほぼ満員になっていたことからもそれを感じました。
市民のリクエスト曲の演奏や観客による指揮者体験、市役所の職員によるダンスと内容はとても楽しいものでした。毎年この時期に行われているようなので、来年もぜひ行きたいと思います。
(木村 亮太)
山登り (11.3.7)
1年ほど前から山登りを始めています。といっても当初は2・3ヶ月に一度近場の里山を登る程度で、いつになっても初めて登る人と同じくらいの体力しかなく、これではダメだと思い、最近は月に一度は登ることを心がけています。
昨年の7月からは高松市の市民登山学校にも入校し、学科と実技を学んでいます。
登山は、たしかに途中とてもしんどいですが、一歩一歩踏みしめながら登り、頂上に到着したときの達成感は格別です。また、途中の景色や山の空気を感じることができ、新しい発見や感動なども得られます。
女性で初めてエベレストに登頂したのは日本人の女性だと先日ある記事で知りました。
さすがにエベレストに登ろうとは思っていませんが、少しづつ魅力のある高い山を目指して登山を続けていきたいと思っています。
(齋藤 美穂)
ひなまつり (11.3.4)
昨日は、子供が待ちに待った、「ひなまつり」でした。少し前に、保育所の行事で、「ひな祭りコンサート」があったのが、とても楽しかったらしく、当日のイベントも楽しみにしていたようです。家でも、ひなまつり仕様のご飯を、とても喜んで食べてくれました。
(長谷 由紀)
ひなまつり。 (11.3.3)
今日3月3日はお雛祭りです。私が小さい頃は、近所の家には7段飾りの立派なお雛様があり、よく見に行っていました。我が家は貧乏で雛人形がなく、当時泣いて母におねだりしました。ある日学校から帰ると玄関に卵の殻と折り紙で作ったお雛様が。。「お母ちゃん!こんなんお雛様ちがう!」と母を責めたものでした。
母は、私に娘が生まれた時、真っ先に雛人形を買ってくれました。毎年雛人形を出すたびに、卵の殻の雛人形を思い出します。母は今晩も15歳になる孫娘の為にせっせと雛祭ケーキを作るそうです。(是松 郁子)
三月二日は生まれて初めての入院中 (11.3.2)
二月十五日入院、十八日手術(3時間20分)。三月二日は、五回目の内視鏡で一日絶食点滴のみ。十日に退院。24日間入院中9日間絶食。そして、重湯・お粥等で体重は6kg減。この入院、その後のリハビリ・治療などで、みなさんに多忙な中を大変ご迷惑をお掛けします。宜しくお願いします。今(3・29)は元気復活中。
( 乃口 健一 )