メールの「功罪」 (10.4.20)
最近、ある会社の報連相研修をしていてあらためて思ったのですが、「メールは気持ちを込めにくい」。
手書きの手紙は、丁寧 (ていねい) にかかれた文字や乱暴に書かれた文字など「味」があるのだが、それが相手のことを読み取ることが出来る。
活字になっている文字は「無味乾燥」だ。
だから、読み手がそれに「意味」を付け加えて読んでしまう。しかも、何度も何度も繰り返してしまう。
例えば「アホでないですか」と言ったとする。
対面で、笑いながら言ったときと、怒っていたときとは、その言葉の意味が異なる。が、言った人の気持ちは素直に伝わるだろう。
しかし、無機質なメールで送りつけると、受け取った側がその文字に「意味づけ」をしてしまう。間違った意味づけをされてしまうと大変だ。しかも、文字情報は何度も何度も読み返すことが出来る。
これが大きな誤解を生むきっかけとなる。そして、手軽なメールで手間を惜しんだことで、かえって不要な手間や取り返しのつかないことをしてしまう。
電子化時代の今こそ、対面で声を聞き(訊き、聴き)ながら話をすることは貴重な行動だと思うようになった。(林哲也)