しない善よりする偽善 (20.11.24)
先日、家から歩いて出掛けている途中、横断歩道で信号待ちをしていると手押し車を押し、信号待ちをしている高齢のおばあさんがいた。信号が青に変わり、渡り切ると青信号はすでに点滅していた。その信号機は距離も短いが青の時間がとても短かった。おばあさんが気になり振り返るとまだ3分の1しか渡っていなかった。私は走って引き返し、おばあさんの所に行った。すでに信号は赤。一緒に手押し車を押した。でもそのおばあさんは足がついていかない様子で手押し車を早く押すと、逆に転んでしまいそうだったので、背中を支えながら一緒に手押し車を押して横断歩道を渡り切った。おばあさんが何度もお礼を言ってくれたが私はモヤモヤした感情が残った。手押し車を一緒に押したといっても全然役に立っていなかったこと、支えるつもりが支えにもなっていなかったなと。私は偽善者だなと思った。おばあさんを助けない自分がイヤで、助けない自分を人様に見られたくないのではないかと。これは自分の為の行動でおばあさんの為じゃないのではないかと。
おばあさんの為に出来ることは何だろうか考え、香川県警察のホームページに信号機の意見箱がありそこにあの信号機の時間の延長をお願いした。もう少し長くないとお年寄りは渡れないので延長してほしい旨を書いた。もうそのおばあさんに会うことがなければ助けてあげることもできないが、青信号の時間が長くなると安全に渡り切れると思う。そのおばあさんだけではなく、高齢の方々の助けにもなると思う。私の意見を聞いてもらえるかどうかは分からないが、何も行動しないよりは良いのではないかと。私の行動は偽善者と思う人もいると思う。偽善者と言われても構わない。善も偽善も続けて行こうと思う。
(池内)