弥生、三月 (20.3.24)
小学校の卒業式は、体育館前の桜が満開だった。
中学校の卒業式は、帰り際にクラスの女の子と話していたら、先生に会いに来ていた兄に冷やかされたっけ。
高校の卒業式は、その数日前に部活で怪我をして松葉杖をついて出た。
大学の卒業式は、うちの大学の校歌って初めて聞いたな、と式中に隣の友人と話していた。
(もしかすると、入学式の時にも聞いたのかもしれないけれど。)
卒業は、なんとなく積み上げてきた時間を置き去りにする感じがして、
ちょっと苦手だった。
それを言うなら、クラス替えで友達と別れるのも残念だし、
逆に新たな出会いがあると言われても人見知りで緊張するし、
誕生月だけど、どちらかというと年は取りたくないし、
嫌いではないけれど、全力ではしゃげないイベントが多い3月。
日増しに温もりを帯びてきた春の陽気を感じながら、
この少し物悲しい感覚は、
年齢が増えるごとに終わりが近づいていることを心の奥底では理解しているからだろうと思う。
だからといって、
「今日という日は残りの人生の最初の日である」みたいに深く考え過ぎることもなく、
今日が楽しいか楽しくないか、ぐらいのレベルでのんびり生きてこれたのは、
やっぱり周りの人に助けられてるからだなあ、と思う誕生日前日。
みんな今までありがとう。
むぎわら