知覧特攻平和会館にて感じたこと (17.2.28)
先日、鹿児島に出かける用事がありました。
その用事が済んだ後に少し時間がありました。地元の方に「どこか見学しておくと良いところは」と尋ねると、「知覧特攻平和会館をぜひ見学してください」と回答りました。
早速、知覧特攻平和会館を訪問しました。
会館では、特攻隊員の写真と遺書が累々と並んでいました。
順番に読むと、わずか数ヶ月の短期間で、1400人近い若い命が空に散っていったことの重みを感じました。内容は、父、母、子らへの思いばかりでした。
日本のこの数年を振り返ると、機密保護法、個人を識別管理するマイナンバー法、憲法9条の解釈による戦争法が制定されました。
特に、今国会で審議されている共謀罪は、政権の意向に反する市民や団体を弾圧して物言えぬようにするため、四たび持ちだされたものです。
このままでは「戦争のできる国」へと突き進んだ戦前の動きと同じです。先人達の尊い命の犠牲でうちたてられた戦後の日本国憲法をはじめとした平和の日本のあり方を大切にせねばならないと痛感しました。
ひとつひとつ読んでいて、カタカナでつづられていた遺書が目をひきました。
読んでみると、残る小さな二人の子供に、父として一緒には生きられぬことを詫びたものでした。このタカナの遺書には涙腺がやられました。
駄文ですか、一句
カタカナで
二人の子らに
父無きの
お詫びを語る
知覧の遺書
後でサイトを検索したところ、下記にも掲載されておりました(合掌)。
↓ コピペして是非ご参照ください。
http://www.geocities.jp/kamikazes_site/isyo/isyobun/kunochuiisho.html
(林哲也)