正義 (16.5.26)
連日、舛添都知事の金にまつわる問題でメディアがにぎやかだ。いろんな番組で政治家やら評論家たちがコメントしている。彼らの政治資金報告書や確定申告の中身も第三者に精査してほしいものだ。不正義の人が正義を振りかざし、不正義の人に裁きを与えようとしている。そんな風に見える。
都議会も同じだ。各党の議員が、自身がその裁きを与える人間に相応しいか否かの沙汰はうっちゃって、舛添さんを糾弾することで正義の人のごとく振る舞っている。なんとか有権者の目にそう映るように。政治家っていうのは、やはり常人には務まらないたいへんなお仕事だ。
大きな企業でも不正が後を絶たない。正義を貫くことがいかに難しいか思い知らされる。
「重要なことは我が子をその人の下で働かせたいと思うかである」
ドラッカーの言うリーダーの選定基準だ。客観的に見てわたしはそのような人間ではない。そのような人間になるには残り時間が少なくなってきた。せめて今よりは俗悪化しないようにしたい。正義を語れる人間に近づきたい。
(松本秀紀)