なんとなく幸せ (15.7.21)
5年前と今年の春でそれぞれ廃校となった、母校である小学校と中学校のグラウンド脇の道を通って毎日通勤している。少子化により学校が統合されるのも今となっては珍しい話でもなく、それぞれ廃校の決定を耳にしたときにも、正直これといった感慨を抱くことはなかった。
しかし、この頃は少し違ってきた。すでにその面積の半分以上を雑草で覆われ、少しずつ荒廃し様相を変えていくグラウンドを見ていると、簡潔な言葉では言い表せない感覚にみまわれる。大事なものが少しずつフェードアウトしていくような寂しさと、怖さと、あきらめと、虚脱感と、無力感と、いろんな感情が入り混じった不思議な感覚だ。
それがそこになくても消えない記憶もあるし、そこにあるから消せない記憶もある。同じ体験をしても、忘れてはならないと思う人もいれば、忘れてしまいたいと願う人もいる。意のままに記憶を操れたら救われる人間がどれほどいるだろう。戦後70年。そのことを取り上げる記事を見るたびにふと思う。抱えて生きていくことに耐え難いつらさを感じる体験の記憶のない自分は幸せである。やがて校舎やグラウンドが無くなっても、消えない楽しい思い出が自分にはある。
(松本秀紀)