いのち (13.3.18)
年に一度、生きていると実感する時がある。このために生きているという、生きがいとかの小難しい話ではなく、ただ純粋に、ああ、いまこの瞬間、自分は生きていると感じるのである。
そのとき、ぼくはいつもその一連の作業を凝視している。看護師は手際よく準備を整え、ぼくの左腕に針を刺す。痛みというほどのものは感じない。何かが皮膚に触れた感触がかすかにあるだけだ。絶妙の角度でのやさしい穿刺。さすがプロと毎度感心する。次に、刺した針に採血管が装着されると、ぼくの血液が勢いよく噴き出してくる。そう採血だ。真空の採血管を満たしていく鮮血を見ると、自分は紛れもなく生きていると実感する。この時ほどそのことを感じさせてくれるものは他にない。
この血はどこから来たのか。自分の生命の源泉に思いを馳せたりもする。今年も健診の時期がやって来た。しっかりと生きていることを実感させてほしいと思う。わが命の水が、よどみない清流のごとくあることを切に願う。
(松本 秀紀)