"ひめゆりの塔"と日本国憲法第9条 (13.2.20)
先日、事務所旅行で沖縄に行きました。
沖縄は、2度目ですが、前回は経営者団体の会合のため、本当に飛行場から会場の往復で終わりました。
今回は、「観光」ということで比較的自由な予定でした。
「沖縄に行ったら必ず"ひめゆりの塔"を訪問しなければ」と考えていました。
第二次世界大戦では、中国大陸や韓国などの東南アジアでは"侵略した国"の日本です。
広島、長崎の被爆体験では"核爆発の人体実験としての日本の姿を感じていました。
沖縄の"ひめゆりの塔"の展示を見ていて感じたのは、国家権力による「棄民」策の悲惨さでした。
万世一系の天皇制度のもとで「久遠の大義」に生きることが強要されると同時に、最後には日本軍が島民の"玉砕"を選択。結果として、一般人に対しては「解散命令」を発し終戦交渉を放棄し、戦乱の中に放り出してしまいました。
国民の軍隊ならば、敗戦を前に、交戦相手国に対して一般人の救済を求めるなど、やるべきことがあったはずだと思います。この軍隊は、国民の軍隊ではなかったのでしょう。
ハルピンなどの大陸では、関東軍が開拓民を放棄して逃避したことと同じような悲惨なことが沖縄であったということをあらためて実感しました。
今、日本の軍事のあり方が声高に喧伝されていますが、日本国憲法第9条の平和条項は、悲劇の上に打ち立てられた大切なものだと実感をしました。二度と過ちは繰り返してはいけません。
世界に誇れる平和憲法は、守らねばなりません。(林哲也)