再び「ノーベル賞に想う」 (08.12.15)
10月23日の続き。その時、益川さんはノーベル賞という制度を「世俗的」とテレビで語ったり、京大助手時代は労働組合の役員として活動し、そのビラの裏で「計算」したりで、いかにも学者らしいと、私は書いている。
そして、今月8日、ストックホルム大での受賞記念講演では、益川さんは日本語で講演をした。その話のなかで労働組合活動にも触れているが、このことを報道したマスコミは殆ど無かった。
日本語で記念講演をした益川さんが異例とのことだが、10日の授賞式では、受賞理由の説明で一部日本語で説明したのも異例であろう。ともすると、私たちは「前例」に従う習性を持っているが、こうした世界の桧舞台で益川流を演じたことが、主催者側の「日本語説明」を引き出した。その歴史に、益川さんと3人の日本人が新たな頁を創り出した瞬間である。
(乃口健一)